第93回研究例会
運営委員会での検討の結果、対面とWeb会議サービスのZoom上でのハイブリッドにて開催しました。
記
日時:2025年6月14日(土曜日)15時~18時
開催方法:同志社大学今出川キャンパス寧静館4F会議室 +Zoomミーティング
発表者①:裵貴得(帝塚山学院大学) 題目:「1920年代朝鮮教会における「公認」問題の再考」— 金圧鍋と朝鮮基督教会の事例を中心に 本研究は、1920年代における朝鮮教会の「公認」問題を朝鮮総督府のキリスト教政策および教会内部の「自治」と「自立」という視点から考察したものである。とりわけ、西欧宣教師と神学論争をめぐる葛藤から独立した金圧鍋の「朝鮮基督教会」を通して当該期における朝鮮教会の「公認」が如何なる過程と様相を呈しつつ繰り広げられたのかを明らかにする。 金圧鍋は1908年に朝鮮耶蘇教長老会に加入し、1914年に平壌長老神学校を卒業して長老教会の牧師となった人物である。その後、新院教会を担当するも、1918年に当該教会を「朝鮮基督教会」と改称したことが契機となり、長老教会から異端と見なされ、免職処分を受ける。その背景には、金が長老教会から独立し新たに教会を設立したにもかかわらず、従来の教会堂および家屋の所有権を主張し続けたからである。 1919年、金は当局に対して新院教会の教会堂および家屋に関する所有権登記抹消を申請し、これにより長老教会と激しく対立するに至った。その後、長老教会は宣教師被得(ピータス)を中心として、金庄鎬らに対して建物所有権確認及引渡請求訴訟を提起したものの、裁判の結果、新院教会堂および家屋の所有権は朝鮮基督教会に移転されることとなった。この判決をうけ、金は1922年7月4日に朝鮮耶蘇長老会(黄海道鳳山郡山水面龍峴里)の布教廃止届と朝鮮基督教会をそれぞれ提出した。そして同年9月6日付の朝鮮総督府官報に掲載されることにより、正式に一教派として公認された。 1920年代において、当局から公認された朝鮮教会は、組合教会から新たに設立された「朝鮮改宗基督教会」と「朝鮮基督教会」の二つに限られていた。1910年代にも西欧宣教師から独立した朝鮮教会は存在したが、いずれも一教派として公認されることはなかった。しかし1920年代に入り宗教行政は西欧宣教師と朝鮮教会の関係性を瓦解させる、当局に協力する朝鮮教会の育成のための布教規則の改正および朝鮮教会の自立と自治論を実施することとなる。よって、1920年代における朝鮮教会の「公認」問題は、朝鮮教会内部の自立及び自治問題と宗教行政との相互関係のなかで複雑に展開していたのである。
発表者②:今里基(立命館大学) 題目:日本から韓国へのライフスタイル移住—日韓関係の変化が促した現在地— 本報告では1990年代以降に移民研究で注目されるようになった、従来の移民の形態とは異なる新しい移民の形とされる「ライフスタイル移住」という移民の形態について、日本から韓国への移住、そして移住先の日本出身者のコミュニティを事例に、6月に刊行する単著をベースにそれらの特徴を提示する。 ライフスタイル移住とはBenson&O'Reilly(2009)によれば、経済・政治・宗教などのやむにやまれぬ理由で移住を余儀なくされた従来の移民とは異なり、「自分探し」や「海外への憧れ」「自己実現」「海外体験」のように生活の質の転換を目指した移住を指す。このような移動は日本国内においても農村や漁村、あるいは沖縄のようなリゾート地への移動でも見られる現象である。一方日本から韓国への移動についても、「韓流」という文化コンテンツによって生じるようになった。しかし韓国は日本と類似した長時間労働や低賃金労働などの「生きづらさ」が存在し、移住を通じたライフスタイルの転換には難しさが存在する。報告者はこのライフスタイル移住の定義からは一見移動が生じにくい場所に見える韓国への移動がなぜ移動したかに着目して、調査を実施した。 報告では調査で提示された、日本からの移動を作り出した日韓国交正常化以降の韓国側の日本人/日本文化に対する意識の変化、統計などから導き出されたコミュニティの特徴、移住に至るまでに持っていた韓国に対するまなざし、移民を促す構造などに着目して、最終的に「地続き化したライフスタイル移住」という枠組みを提示する。
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